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映画 『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(☆☆☆☆)

『エイプリルフールズ』や『ソロモンの偽証 後篇・裁判』の回で、
奇しくも「芝居とはウソそのものである」的なことを書いたわけだが、
今作では「作りもの」であるべき芝居の中で
ある意味禁じ手を使ったわけである。
日本でも、過去にそういう話がなかったわけではないが、
日本で同じことをやれば銃刀法違反になるわけで…(現にそうなっているし)。
もっとも、作中で「映画の世界でアリかもしれないが、
舞台の上でそんな作りものなんか使うな」ってさんざん煽ってるわけだから、
ああいう落とし所になるのは致し方ないところであろう。
とはいえ、『エイプリルフールズ』でさんざん書いたことだが、
モノホンの銃の引き金を引くというのは、
それなりに覚悟のいることだと思うので、
彼にしたところで「舞台を枕に死ねれば、役者冥利に尽きる」
ぐらいの気持ちであのシーンに挑んだと思いたい
(前段で「この舞台に全てを賭けている」とまで言ってるぐらいだしねぇ)。
芸術とは、一種の狂気とも言えるから、
こういう、鬼気迫るものがないとダメってことでしょう。

アメリカのショウビズは、良くいえば住み分けができていると言えるが、
悪く言えば縄張り意識が強い、となる。
主人公のリーガン(マイケル・キートン)は、
タイトルの通り『バードマン』という映画で主役を張り一名を成したが、
今やその栄光も翳り、舞台の道に活路を求めたという、
舞台人にとってはインベーダーなわけである。
だからこそ、舞台俳優や舞台批評の第一人者から小馬鹿にもされるのだが、
それでもリーガンには俳優としてのプライドなり意地がある。
『太秦ライムライト』の回でも書いたが、
「自分の立てる舞台が無ければ、自分で作ればいい」
というのはアメリカではこのようによくある話である。

一方で、彼ら有名人は、存在自体が消費の対象である。
日本の話だが、極端な話半年ぐらいテレビに出ないだけで
「あの人は今」みたいな話にされる。
今作でも、フェイスブックもツイッターもやってないリーガンを、
娘は過去の遺物のように言うわけだが、
皮肉なことにそんな彼が1本の動画(おそらくyoutubeだろう)で息を吹き返すんだから、
吹けば飛ぶような「昔の名前」もバカにはできないわけである。
最近日本でも「一発屋」が再評価されてるらしいが、
確かに一発でもどでかい花火を打ち上げられるということは、
本来評価されるべきことであろう。
「誰かがきっと見ていてくれる」と思ってるだけではダメで、
「まず誰かの視界に飛び込む」ぐらいのしたたかさが必要だ、ということかもしれない。

作品としては、やや「芸術的」に撮ってるところが気になるが
(主に思わせぶりなカットについて)、
「芸術」と「消費財」の狭間でせめぎ合っている舞台人を活写しているという意味では、
非常に興味深い内容の作品と言える。
ただ、わかりやすい面白さではないので、
やや観客を選ぶ作品である、とも言えるだろう。

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