映画 『セッション』(☆☆☆☆)
去年、学校の部活動での体罰問題が持ち上がった際、
「欧米には体罰が存在しない」という話が出てきた。
その理由は明快で、
「そもそも才能の無いヤツにかまってるヒマはないから、すぐやめてもらう」
だそうである。
裏を返せば、期待値が大きければ欧米だってシゴく、ということである。
そんな話を地で行くのが今作。
アメリカ最高峰の音楽学校でドラムの腕を磨こう入学したニーマン
(マイルズ・テラー)。
そこでニーマンは、ひょんなことから学内のバンドを率いるフレッチャー
(J.K.シモンズ)にそのバンドへスカウトされる。
しかし、そのバンドは、半ばフレッチャーの私物で、
飽くなき「完璧」を追求する狂気の舞台だった。
蜷川幸雄もかくや、とばかりにイスが飛び、
「1000本ノック」ならぬドラムの早叩きを延々をやらされたりと、
もはや「スポ根」ならぬ「音根」映画である。
しかし、クライマックスの「JVC」でのフレッチャーのやり口は、
正直どうかと思う。
初見の曲を、しかも譜面無しで叩け、とか、ムチャ振りにも程があるだろう。
まぁ、それすらもフレッチャーの「歪んだ愛」に見えてきてしまうから、
それまでの間にコッチも相当慣らされてしまったのかも知れないが
(実際、本番の舞台でアレをやったら、フレッチャーだって任命者責任を問われて、
評判ガタ落ちだろうし…)。
ニーマンが挫折した後で、
フレッチャーを訴えようと父親に持ちかけられるシーンがあるが、
ニーマンは頑なにそれを拒む。
それは、ニーマンがドラムへの夢を断ち切れなかったからだろうし、
フレッチャーのニーマンに対する期待を少なからず感じていたからではないだろうか。
「ブラック企業か否か」を決めるのは、あくまでも当事者なのである。
「肉体的、精神的にキツイ」と思うか、
「それ以上に稼げるいい仕事」と思うかは、結局当人なのである
(もちろん、法令違反は論外だが…)。
「零戦」を礼賛する人は少なくないが、
アレにしたって海軍のムチャ振りが生んだ産物である。
クライアントに期待に応えたいと思うから
企業も「ブラック化」する面だってあるわけだし、
日本のサービスが世界から賞賛されるのは、
他ならぬ我々日本人の要求するレベルが、ムチャ振りクラスに高いからとも言える。
別にブラック企業を擁護するわけではないが、
「叱られるのは期待があるから」であり、
「クレームは期待の裏返し」なのである。
日本人なら、ニーマンの気持ちも、フレッチャーの気持ちも、
よくわかるのではないだろうか。
「いいもの」とは「高い要求レベルを満たしたもの」である。
「グッジョブ」と褒めるのもいいが、
褒めたらそこで成長を止めてしまう危険性もある、とフレッチャーは言っている。
この辺のさじ加減の難しさが教育の難しさであり、
また醍醐味なのかも知れない。
それがわかる教育者が、この国にどれほどいたものか…。
クライマックスでニーマンが仕掛ける『キャラバン』の激奏は、
映画館でなくてもいいから是非音響の整った環境で聴いてもらいたい。
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