映画 『だれも知らない建築のはなし』(☆☆☆)
新国立競技場問題で矢面に立たされた安藤忠雄が出ているということで、
今作に関してはけっこうミーハーな気持ちで観に行きました。
もちろん、建築に関しては全然詳しくないので、
70年代以降の建築界におけるムーヴメントにはあまり興味が湧きませんでした。
ただ、今や白紙となった当初の新国立競技場の建築案を出した
ザハ・ハディドが安藤忠雄と同世代の建築家だという話は、
やはり新国立競技場問題を語る上では一つ重要なキーになるように、
今作を観て思われたわけである。
そういった事も含めて、
エピローグ(今作は4章+エピローグという構成で、
4つの章で建築界のムーヴメントについて語っている)の
安藤忠雄の話は実に興味深かった。
まず、2500億円という巨額プロジェクトになってしまった件にリンクするが、
「みんなが大学に入ってホワイトカラーになったら、だれが建物を作るんだ」
という素朴な疑問の提起である。
つまり、みんながホワイトカラーになった結果、
建築に携わる大工や左官のなり手がいなくなってしまった。
だから、建築費が高騰してしまったという単純な文脈が、
この問題提起から成立してしまうのである。
数年前にも田中眞紀子(当時文部科学大臣)が大学の許認可について
ずいぶんと噛みついた事があったが、
その時も結局彼女の案は却下され大学はさらに増えてしまう事になってしまった。
そして、いざオリンピックを誘致して、
バカスカ箱モノ建てるぞとなったら、
デザインする人間はいてもデザインを実現する実務者がいませんでした、
というのが今の状況である。
今回に関しては文部科学大臣だけが槍玉に挙げられているが、
建築行政を司る国土交通省にだって、
この現状を生み出した責任の一端はあると思うし、
要するにこの国の政治には「戦略」が無いのである。
そういう意味で言えば、伊東豊雄などが作中で言ってることは至極まっとうであり、
そういうものを汲み取る能力もまたこの国には無いのである。
また、第1章で「日本の建築家は自分たちの建築を言葉にできない。
良く言えば彼らには『オーラ』があった。
だから日本の建築は長く飽きられずに来たのだ」と外国の建築家が言っていた。
一方でエピローグなどで日本の建築家も
「建築をちゃんと教えられる人間がいなくなった結果、
次代の建築家がいなくなってしまった」と嘆いていた。
しかも、建築家の地位自体今や低くなり、
「ストラクチャーの主体がすっかり政治の側に移ってしまった」とも言っている。
この話も、新国立競技場の話とリンクするが、
安藤忠雄とザハ・ハディドはそういった潮流に対して、
あの建物を使ってささやかに抵抗を試みたのではないか、と勘ぐれなくもないのだ。
しかしその目論見は、この国の「無戦略」によって打ち砕かれてしまった。
安藤忠雄は作中で「ボクみたいな建築家の味方は世論しかない」
と言っていたが、あの建築費を見てしまったら、
世論を味方につけることはできないだろう。
だからこそ、あの額面を見た安藤忠雄は驚く他なかったのかも知れない。
「こんなはずじゃなかった」と…。
本来は建築界のドキュメンタリー作品のはずなのだが、
ある意味非常にタイムリーな作品になってしまった。
ある意味、今観るべき作品。
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