映画 『フレンチアルプスで起きたこと』(☆☆☆☆)
またしても、エラそうなこと書かせていただきますが、どうかご容赦。
男と女なんつうのは、究極的に分かり合えないんです。
例えば今作にしたって、
奥さんが本当に怒ってるポイントは、
「雪崩を前に自分が最初に逃げたこと」ではなく、
「そんな自分を取り繕っていること」なのである。
しかし、ダンナにはそれがわからない。
いや、わかっていてなお認めたくないのかも知れない。
しかし、家族内だけでこの話を済ませていれば、
まだダンナも謝るチャンスはあったかも知れないが、
奥さんがこれを大事にしてしまったため、
ダンナは言うなれば公開処刑されてしまったと受け止めてしまう。
奥さんとしては、認識を一致させて分かり合いたいと考えたのかも知れないが、
結果的に奥さんのしたことは外堀どころか内堀まで埋めてしまう行為であり、
ダンナとしてはもうのっぴきならない状況である
(まぁ、とっとと謝れば良かっただけの話と言ってしまえばそれまでなんだが)。
結果的に今作は一応のハッピーエンドを迎えることになる
(最終日のバスのくだりの意味がよくわからないんだが…)。
俗っぽく言えば「雨降って地固まる」なわけだが、
こういう時には存外子供じみた素直さの方が有効なのかも知れない
(子供たちはおそらくダンナが真っ先に逃げたこと自体に怒っていたようだ)。
「社会の縮図」「子供にとって最初の社会」と言われるのが家族である。
しかし、社会ではしばしば「役割」を演じなければならないように、
今作においてもダンナと奥さんは子どもたちの前で仮面夫婦を演じている。
しかし、子どもというのは先ほども書いたように実に素直である。
夫婦の間に漂う微妙な空気をしっかりと感じ取り、
「別れちゃイヤだ」と口にしてしまうのである。
ダンナはダンナで、山奥に入って大声で叫ぶ。
奥さんはわりと保守的なんだが、それでも一人になりたい時だってあるのだ。
何が言いたいのかというと、今や家庭の中でも息など抜けない、ということである。
男性にとっては、家庭、職場以外の「サードプレイス」の必要性が叫ばれている。
一方女性は、その辺り案外自由にやっているようにも思える(専業主婦の話)が、
働く女性にはやはり「サードプレイス」が必要になってくるだろう。
「ストレス社会」と言われて久しいが、
家庭でも役割を演じなければいけないとなれば、
ストレス発散の場はますます少なくなってきていると言えるだろう
(言い換えれば、今までは家庭がストレスのはけ口だったということなのだろう)。
そういう現実が「家庭の幻想」を打ち破ってしまったために、
結婚に対する憧憬もなくなってしまったように、ワシには思えるわけで、
まさに「現代を描く」映画としては秀逸な作品だと言えるだろう。
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