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映画 『合葬』(☆☆☆)

彰義隊の顛末がベースにある話だが、
原作がマンガで、原作者も女性ということもあってか、
悪く言えば単なる青春モノになってしまっている。
とはいえ、今作から汲み取れるものもあったので、評価は標準的なものである。

ワシは、その興りから幕引きに至るまで、
今や江戸幕府というものを「暗黒時代」と称するほどに評価していない
(明治新政府は、政権としては江戸幕府以下だが…)。
今作に関連して言えば、形ばかりの「武士道」とやらを、
それこそ形ばかりの武士だった郷士辺りにまで浸透させた結果、
今に繋がる「国のために死ね」という考え方が、
国民性と呼べるレベルまで押し上げてしまったことにあると言えるだろう。
だから彰義隊士の多くは、「あの戦争」の末期のような精神論に陥り、
銃弾飛び交う中を「刃を掲げて突進」するような愚挙を、むしろ自ら進んで行う。
しかし、いざ周りの隊士が銃弾に倒れ始めるとその熱が一気に冷め、
算を乱して敗走し始める。
覚悟を決めて自決しようとする奇特な者もいるが、
実際彼らの多くは道場剣術しか知らないため、他人を殺したこともない輩ばかり。
そんな者が、自分に刃を立てて死ねるはずもなく、
介錯を頼むものの介錯する側だって人を殺したことがないんだから、
当然できるはずもない。
こんな意気込みだけの侍を、
江戸幕府は200年かけてせっせと生み出していたのである
(もちろん、「攘夷」を唱えていた志士の多くも、
満足に人殺ししたことのない奴だったんだから、
悪い言い方をすれば「平和的に解決」するしか手段を持てなかったのだが…)。
しかも、新政府軍はこの当時刀を振り回すだけの侍相手に、
銃を使って非常に合理的な戦いぶりをしていたというのに、
「軍人勅諭」や「戦陣訓」を通じて、
「あの戦争」の頃にはすっかりサムライ帰りしていたという、
なんともやるせない話である
(コレには、大村益次郎の死が関わってるように思われる)。
日本人は過去から学ばない、という話は昨日今日始まった話ではない
(新国立競技場も過去に学んでない例といえるが…)。
彰義隊も特攻隊も、教育の成果である。
教育の力が人々の有り様をこうも変える、という話である。

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