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映画 『アクトレス~女たちの舞台~』(☆☆☆)

経験というか成熟というものが、俳優にとって、ひいては人間にとって、
財産と見るか重荷と見るかは、やはり個人差があるだろうが、
端から見れば財産と見る反面「昔やってるんだから今もできるだろう」
という見方もするわけだから、
プレッシャーという名の重荷になる可能性はあるわけである。
今作では、20年前に世に出るきっかけとなった作品に、
今も自分にとって気に入らない方の役で出て欲しいと言われた大女優が、
自分の理想の演技像と現実の要求の狭間で葛藤する、
というのが主な筋なわけだが、
もちろんそれだけでなく、20年前に自分が演じた方の役を演じる若い女優や、
マネージャーをやってくれる若い女性との
ジェネレーションギャップから生じるいさかいなど、
容易に受け入れられない「老い」という名の成熟に当惑する様が描かれている作品。
まぁ、日本にもそういう俳優さんが結構いそうだけどねぇ
(俳優である以前にキムタクであることを要求される木村拓哉や、
吉永小百合以上でも以下でもない吉永小百合とか)。

ただ、まずその大女優の恩師とも言える舞台作家さんの死のくだりから、
本編に入るまでが長く、しかも退屈。
また、マネージャーさんが途中退場するのだが、
それが唐突に訪れ、しかもマネージャーさんの後日談もない。
つまり投げっ放し。
確かに、信頼してたマネージャーに逃げられた大女優は憐れではあるが、
彼女には彼女で問題があるので、そう同情もできない
(もっと言えば、いつまでも若さを追い求めていてみっともなくも映る)。
とはいえ、そこに彼女の矜持がある場合もあるし、
彼女の場合おそらくそうなのであろうから
(作中の彼女は、颯爽としていてどちらかというと男っぽい)、
離婚協議中の男性とも衝突が絶えなかった(あるいはすれ違いばかり)ことだろう
(もっとも、作中には声とかだけしか出てこないのでなんとも言えないが…)。

「老い」とか「成熟」というものを考える上では、
非常にわかりやすく、また示唆もあるのだが、
全体的に掘り下げ方が浅く、登場人物にあまり共感できないのがザンネン。

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