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映画 『ルンタ』(☆☆☆)

北京オリンピック以降、中国による弾圧が強まったチベット国内で、
これに対する抗議の形として「焼身」する者が、
今年3月までの約10年で141人に上るという。
建築家で、今は元政治犯などの支援もしている中原一博の視点を中心に、
「焼身抗議死」した人々のバックグラウンドや、
デモに参加した人々、さらにはチベットの現状などを描くドキュメンタリー。

ガンジーの例もあるように、「非暴力」には一種独特の恐さというか、
当然「暴力」に対する大きなアンチテーゼという意味合いが大きいのだが、
それが通用するのは理性のある相手なのであって、
その理性を自ら「中華」と名乗り、
数千年前の価値観をいまだに世界に押し付けているような相手に求めるというのは、
彼らのリアクションなどを見ても少々無理があるように思われる
(だからって武装闘争やるほど資金力があるわけじゃないだろうけど…)。
一方の中国は、古人のいいお言葉とう、数千年の叡智があるんだから
(例:「縮めようとするなら、まず伸ばしてやる」(老子)、
「敵を必死にさせないために完全包囲してはならない」(孫子九地篇))、
もう少し統治論とか真面目に勉強すればいいのに、
始皇帝以来全然統治手法が変わってないっていうのがねぇ…。
そして日本である。
日本人には、「自由を抑圧された」歴史が、本質的には無い
(それどころか、強圧的な統治者をそれほど経験してない)。
だから、ここまでして「自由」を希求する気持ちが、
ホントのところ理解できないのではないだろうか
(ワシも、そういう意味では理解できんかったけど…)。

彼らには、もともと「利他」の精神があると作中では言っているが、
一方で「焼身抗議」した人々の遺書には
「自分たちに続いて来てはいけない」と、ある意味では断絶を望んでいる
(まぁ、あんなことがそう立て続けに起きても困るだろうが…)。
でも、それってあまり建設的でないっていうか
(対話のチャンネルを閉ざしている中国にももちろん問題はあるのだが)、
これで解決するとはやはり思えないわけで…。
そもそも、チベットは中国にとっては国家ではないわけで、
つまり国内問題であって外国の入り込む余地も少ないわけで、
だからこそそういう行動を取らざるを得ないのは充分に理解できる。
しかし、それが相手に通用してないことは今作からでも明らかだし、
世界的な影響力だけで言えば、ウイグル族によるテロ活動の方が、
よっぽどセンセーショナルに映るのは、
ワシのニュースの取り方が偏ってるからなんだろうか…。

いわゆる「イスラム国」のように、資金力があればあれほどの大事もできるのだろうが、
チベットの人々にはそれがない。
だからと言って、どこかの誰かから巨額の資金援助を受けてしまったら、
その「どこかの誰か」に注目も集まるし、
「どこかの誰か」の影響力がチベットに及ぶ可能性(危険性)も指摘されることだろう。
飛び地の独立はそう難しくないのかもしれないが、
地続きの地域の独立というのはそう簡単なことではないのだろう。
チベットの未来は、決して明るくない。

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