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映画 『リリーのすべて』(☆☆☆☆)

世界初の「性適合手術」を受けたリリー・エルベ
(本名アイナー・ヴェイナー、エディ・レッドメイン)の、その顛末を
その妻ゲルダ(アリシア・ヴィキャンデル)の「無償の愛」とともに描く作品。
コレだけの作品を、決して実録調ではなく、
しっかりとしたラブストーリーにしてくるところが、
『英国王のスピーチ』などでおなじみトム・フーパーの実力であろう。

しかし、2000年に原作が発表され、2005年には最初の映画化が企画されながら、
その実現まで10年の歳月を要したのは、
やはり扱う題材がキリスト教倫理に反する「同性愛」と
不即不離な内容であることも無関係ではあるまい
(作中では触れてないが、彼らの母国であるデンマークでは刑法で禁じていた)。
『イミテーション・ゲーム』でも同性愛を扱っていたが、
戦後でさえそれは強制の対象であり、
今作中ではアイナーが深刻な医師不信に陥るように、
今風に言えば「肉体の性」に「精神の性」をすり合わせるようにしていたわけである。
アラン・チューリングが、そのために大量に投薬され(イギリスでも同性愛は犯罪)、
それにより精神が錯乱して自殺した、とも言われているように
(『イミテーション・ゲーム』ではテキストのみ)、
こういった作品が扱えるようになったということは、
ある意味ではセクシャル・マイノリティへの理解が
多少なりとも深まった証拠と言えるわけである。

アカデミー賞の扱いでは、主演はリリーなわけだが、
彼女(役に合わせてそう言うが、アカデミー賞的には「主演男優賞」扱い)は
自分の希望を実現させていくから良いようなものの、
そんな彼女に「無償の愛」(と言っていいのかどうかはやや微妙なのではあるが)を
捧げるエルベの方が、話が進むうちに深くなって行くのが、
あるいは「助演女優賞」しか取れなかった理由と言えるかもしれない。
性を適合させていくリリーは、その過程でどんどん(精神的に)醜くなって行くし、
そういう意味でも変わって行くリリーを、
その責任の一端が自分にあるのでは、という自責の念も含めて、
それでも愛を注ぐエルベを、新人女優のアリシアが好演したことは、
確かに受賞に値するものであると、ワシは思う。
ただ、その闇を、今作をもってしてもまだ描き切れていないように思われた。
しかも、「女性化」して行くリリーに対して、
エルベはやや過剰と思われるぐらい「男性的」に描かれており、
それは当時の女性としては『アルバート氏の人生』でも描かれているように、
女性の社会進出という意味ではあのぐらい突っ張っている必要も
あるのかもしれないが、
彼女の闇を描き切れていないという意味も含めて、
彼女の真相に踏み込めていない感じを受けてしまったのが残念と言えば残念。

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