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映画 『FAKE』(☆☆☆☆)

今作鑑賞後、同様のテーマを扱った映画『ビッグ・アイズ』のレビューを見返してみて、
「ワシもけっこうマスコミ報道に汚染されてたんだな」
と思ったわけであります。
「あの戦争」で唯一まったく責任を取らなかったとされるマスコミ。
扇動、意図的な情報隠蔽、そしていわゆる「大本営発表」報道。
今作では、佐村河内守氏に対してこれらマスコミの悪弊が、
惜しげもなく投入され、人権を蹂躙したわけであるが、
にもかかわらず「テレビに出てみませんか」と誘いをかけるわけである。
どのツラがそう言ってんだ、って話なわけです。
そして、今ではもう話題にも上がらなくなった新垣隆氏である。
彼は、ワシが思うに、「何色にも染まる」タイプの人間なんだと思う。
そんな彼が、どういうわけか反旗を翻したわけである
(その理由について、新垣陣営は沈黙してるので真相は不明なのだが)。
『ビッグ・アイズ』のレビューでも書いたが、
互いが互いを必要としていて、win-winの関係だった時期があったわけで、
佐村河内氏の弁護団が「新垣側の弁護士が逃げ回ってる」という印象を持つように、
やはり新垣氏が「より大きなパイ」を得ようと考えた、
と推測せざるをえないわけである。
新垣氏にも作曲者としてのプライドがあるのはわかる。
しかし、「いいもの」を作れば売れるわないわけであり、
多くの人々はそのバックにある「ストーリー」にカネを出している、
という面が歴然と存在しているわけである。
そういう意味では、今作ラストで佐村河内氏が独力で作曲した曲も、
どれほど「いい曲」(音楽のインプットが少ないワシには、その良さはわからんが)
であったとしても「黒いストーリー」が渦巻いてる以上、
どれほどの努力をしても、まぁ売れないだろう
(売れることが価値の全てでは、もちろんないわけだが…)。

しかし、佐村河内氏にも非はある。
本人は、「こっそりと事を運んだこと」に非があると認めているが、
ワシは音楽を作る上で、何万言を積み、懸命に図示しても、
自身の持つ細かいニュアンスが完全に伝わることは無い、と言い切ることができる
(『韓非子』にある「郢書燕説」)。
だから、本来は今作のように自信が作曲するべきなのであって
(やはり「音符が読めない」ことが問題になってくるのだろうか)、
ワシは表現というものは結局そこに行き着くのではないか、と思うのである。

森達也監督が、実に丁寧に作っており好感が持てる。
それにしてもフジの大晦日番組だから数字は相当アレだったはずなのだが、
今作で見事に恥の上塗りをしてしまったわけで、司会陣を見ても、
どう考えても「報道」や「検証」は期待できない作品ではあるが、
森監督が言うように「出ていればあるいは扱いも多少は変わっていたかもしれない」
可能性はある(リスクも相当大きいが)。

疑い続けるのは、自ら検証する必要があることもあり、相当な労力を要する。
日本人は、基本的にエネルギー不足なので、
少なくとも江戸時代以降「番付」や「ブランド」に依拠した価値判断を好む。
しかし、そうであるがゆえに先述したような「マスコミの悪弊」が
野放しにされてきた、とも言えるわけで、
そういった国民性が米国依存型の外交なり政治体系を生む
遠因となったと考えることもできる。
人間は「考える葦」であると言われる。
だから、考えなくなったらただの「葦」なのである。
ただの「葦」では、日進月歩の人工知能に勝てるはずがあるまい。

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