映画 『レジェンド 狂気の美学』(☆☆☆)
1960年代のロンドンに実在した双子のギャングを、
トム・ハーディが一人二役で演じた今作。
ただ、内容は日本のヤクザものとそう変わらない。
組長が兄レジーで、弟ロンはいわゆる武闘派。
新しいギャング組織として外部からカネ回りに詳しい奴が入ってくるのだが
(その辺の構図は、まさに『アウトレイジ』そのものなわけだが)、
この武闘派と経済ヤクザがいがみ合い、そこから組織がほころびを見せる、
というところまで『アウトレイジ』なんかとほぼ同じ。
しかし、今作が『アウトレイジ』と決定的に違うのは、
まず幹部が実の兄弟であることと、
レジーが現実的で(日本で言えば山口組3代目田岡一雄)、
カタギの道を模索していて、
ソコに奥さん(フランシス:エミリーブラウニング)が絡んでくる、という点である。
両者をまとめると、
「カタギでないと救えない人がいる」一方で「カタギでは救えない命がある」
という、ある意味矛盾した命題と言えるかもしれない。
前者はレジーであり、後者はロンなのであるが、
レジーは言ってみればその狭間で板挟みになってしまうのである。
レジーは、カタギの道を模索し、
奥さんと一緒に居続けるためにはそれが必須だったわけだが、
田岡一雄がそうであったように構成員を食わせて行くため、
あるいはカタギの社会では生きる術を持たない者たちを食わせて行くためには、
ギャング組織を維持運営していかなければならないわけである。
ロンは、まさに「カタギの社会では生きて行けない人間」であり、
刑務所よりも精神病院の世話になってるような人間である
(しかもキリスト教的にはタブーのホモセクシャルだし…)。
双子の兄弟であるレジーが「(多分親に対する)忠義」と言っているように、
レジーが囲っているからこそロンは裏社会ででかい顔ができるわけである。
ただ、ロンはやはり頭のネジがだいぶぶっ飛んでるようで、
経済ヤクザの道を模索するレジーに物足りなさを感じてるのである。
結果的にロンが破滅のトリガーを引いてしまうわけだが、
その警告は作品のわりと早い時点から発せられている。
それでも、彼らが強大であるがゆえに見過ごされてしまうわけだが、
その辺の善悪は確かに難しいところであろう。
日本にも同じ時代があったわけであり、
『ヤクザと憲法』でも明示されているように、
戦後ヤクザやギャングの居場所はどんどん少なくされている。
そういう意味ではとっくに「不寛容社会」化しており、
ロンなどいは当時以上に生きにくい社会になっていると言えるだろう。
日本も、彼らをタブー視しなければ、
それこそ田岡一雄を主人公に同じような作品だって作れるわけで
(実際70年代には作ってるし…)、
日本にだって使える題材はまだまだいくらでもあるはずなのだが…。
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