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映画 『クリーピー 偽りの隣人』(☆☆☆)

いろいろと考えさせられた作品。

まず、いきなりラストの話からするのだが、
あのラストは最近観た作品と同じ傾向だったので正直読めたし、
どうせあのラストにするんならもっと前倒ししても良かったと思うんだが、
単純に言うと現代人がいかに法に手足を縛られているかという話なのである。
半グレの話も実はそうなのだが、
今やヤクザも法のラチ内の存在にされてしまったために、
そういう意味ではちっとも恐ろしくないわけです。
今一番強いのは、法の世話にならなくてもいい人間
(≒法の保護を受けられない人間)と、
法の網をかいくぐれる人間なのである。
言い方によっては「アウトロー」と表現してもいいんだろうが、
一般生活を送りながら法の網をかいくぐってるヤツもいるので、
「アウトロー」という言い方は必ずしも適当とは言えないだろう。
そういう意味では、今作における西野(香川照之)のように、
特定の名前を持たない存在は、まさに「アウトロー」なのであり、
彼らのような自由人にとっては、法によって手足を縛られている
一般人をあしらうなどいともたやすいことだろう。

その西野は、その法に基づく「罪と罰」によって他者を支配する。
西野は、法の網をかいくぐる術を知り尽くしてると言っていいだろう。
そのために彼は(明示はしてないが)覚醒剤を使う。
使用しただけで罪になる上に、依存性がある覚醒剤は、
他者を支配する上でかっこうの道具と言えるだろう。
しかし、裏を返せばいくら厳罰化しても、むしろどんどん陰に籠ってしまって、
「他者を支配する道具」としての効力が増してしまうことになるわけである。
つまり、覚醒剤の力は法によって補強されている、
という側面を今作から垣間見ることができるのである。
世界的には少しずつ容認の方向に向かい始めているのも、
こう言った厳罰化のデメリットを見据えた上なのではないか、と考えることもできる。

それにしても、ドラマに出てくる刑事とは、どうしてああもマヌケなんだろうか。
知りもしない場所に単身乗り込んでいくのは、勇気ではなく無謀である。
だから野上(東出昌大)は消された上に拳銃まで取られるし、
谷本(笹野高史)は西野の罠に堕ちてしまうのだ。
何が「世界一優秀」だよ。平和ボケしてるとしか思えんね、まったく。

今作の致命的なところは、結局何の謎も解いていないことである。
西野は本当に水口だったのか。
西野があのような凶行に及ぶきっかけは何だったのか。
澪(藤野涼子)が西野に協力していた理由は何か。
もしかして、早紀(川口春奈)も澪と同じ役目だったのでは?
今作が実話で、しかも未解明なら致し方ないだろうが、
前にも同じような話を書いたかもしれないが、
フィクションなんだからその辺の種明かしぐらいは欲しいのである。
得体の知れない怖さが残るだけである。

得体の知れない、と言えば西野がまさにそうなのではあるが、
そうであるならばなおさら予告編の段階から
「西野はアヤシイ」っていう予断を与えてしまうのは、
作品として損だとワシは思うんだよね。
だって、アヤシイという先入観で観てしまったら、
西野の一挙手一投足全てが怪しくなってしまうわけだから、
その時点で「得体の知れなさ」半減である。
ぶっちゃけて言えば、昼間っから雨戸閉めっぱなしの家なんて
怪しい以外の何物でもないんだけど、
それでも予断を与えてしまってるのとそうでないのとでは、
見方も変わってくると思うのだ。
はっきり言って、タイトルと予告編で相当損してる作品。

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