(21)猿田彦神社(サルタヒコジンジャ)
祭神
猿田彦大神(サルタヒコオオカミ)
大田命(オオタノミコト)
天孫降臨の折に道案内したとされる猿田彦と、
その子孫大田命を祀る神社。
そのゆかりで「道の神」、「道祖神」とされており、
人生を良い方向に導く神であり、方位除け(方違え)にも用いられていたそうです。
(22)佐瑠女神社(サルメジンジャ)
祭神:天宇受売命(アメノウズメノミコト)
天孫降臨の折に猿田彦にその名を尋ねた縁から、
猿田彦神社の境内に設けられている社。
後に両者が結婚したと言われており、
道祖神で一緒に祀られたり、縁結びの神とされることがあるそうだ。
ココでは、天の岩戸の前で神々を笑わせ、
岩戸の中の天照大御神の気を引いたことから、
芸事の神とされています。
信じられるかい、伊勢神宮のお膝元だぜ。
なんで生えてるのかよくわからないんだが、
実は翌日も見ることになるので、この辺でも自生できるんだろうか…。
(23)上田神社(ウエダジンジャ)
祭神
素盞鳴命(スサノオノミコト)
大山祇命(オオヤマツミノミコト)
菅原道真公(スガワラノミチザネコウ)
ある意味伊勢神宮のお膝元らしくないフツーの神社。
大山祇命が祀られているので、土地の神ということなんだろうが、
他の2柱は、悪い言い方をすると節操のない部類に入る神様。
こういう神社もあるのが、逆に安心できると言えなくもないが…。
(24)月讀宮(ツキヨミノミヤ)
祭神:月読尊(ツクヨミノミコト)
内宮の別宮の中ではかなり規模が大きく、
また式年遷宮もするらしい(行った時は全然気づかなかったが…)。
境内にいくつか別社がある。
(25)葭原神社(アシハラジンジャ)
祭神
佐佐津比古命(ササツヒコノミコト)
宇加乃御玉御祖命(ウカノミタマノミオヤノミコト)
伊加利比売命(イカリヒメノミコト)
内宮末社。見た目に似合わず3柱の神が合祀された社。
ともに田畑を守る神とされているが、
佐佐津比古命は大歳神(いろんな意味を持つ神らしい)の子とされている。
大歳神も穀物の神とされている。
宇加乃御玉御祖命は大歳神の兄弟とされており、
また「お稲荷さん」としても有名な神様。
兄の大歳神ともども穀物の神とされる。
伊加利比売命だけは、稲に関係ある神様らしいのだが縁起が無いので
それ以上のことは不明。
(24)月讀宮(再掲、本殿)
祭神:月讀命(ツキヨミノミコト)
内宮別宮。
天照大御神の弟で、素戔嗚尊の兄である月讀命が祀られている。
三兄弟のひとりとして外宮別宮ともども祀られて
大事にされている、ということだろう
(26)月讀荒御魂宮(ツキヨミアラミタマノミヤ)
祭神:月讀命荒御魂(ツキヨミノミコトノアラミタマ)
内宮別宮。
月夜見宮と同じく、月讀命の荒御魂もキッチリと祀られてます。
ただ、建売住宅みたいに同じような建物が並んでいるので、
良く言えば壮観なのだが、悪く言えば個性が無いわけで…。
(27)伊佐奈岐宮(イザナギノミヤ)
祭神:伊弉諾尊(イザナギノミコト)
内宮別宮。
三兄弟の父である伊弉諾尊が祀られた社。
でも、もっと尊重しても良かったのではないかなと…。
(28)伊佐奈弥宮(イザナミノミヤ)
祭神:伊弉冉尊(イザナミノミコト)
内宮別宮。
伊弉諾尊の妻である伊弉諾尊が祀られた社。
「3兄弟の母」と表記しないのは、
彼女の死後に伊弉諾尊が禊を行った時に生まれた神様だから。
この辺りの詳しい話は、記紀を参照願いたい。
この後、ようやく近鉄五十鈴川駅までたどり着き、
近鉄特急で名古屋に戻るわけですが、
この時点で既にけっこうボロボロだったりします。
ポカも多いですし、振り返ってみると反省の多い旅ですわ、ホンマ…。
(18)荒祭宮(アラマツリノミヤ)
祭神:天照坐皇大御神荒御魂(アマテラシマススメオオミカミノアラミタマ)
天照大御神の荒魂が祀られている社。
荒ぶる最高神ともなると、並々ならぬパワーがあるのかと思いきや、
案外他の荒魂を祀る社とあんまり変わらないのね…。
こちらは神宮司庁の辺りにある、手入れされた木。
どうやって、こういう風に育てるんですかねぇ…。
(19)子安神社(コヤスジンジャ)
祭神:木華開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)
内宮所管社。
大山祇神の娘のブスじゃない方で、
神武天皇の祖父邇邇芸命(ニニギノミコト)の妻木華開耶姫命が祀られている社。
安産の神とされており、
そのために奉納された鳥居が多数並べられてます。
(20)大山祇神社(オオヤマツミジンジャ)
祭神:大山祇命(オオヤマツミノミコト)
内宮所管社。
木華開耶姫命の父で山神の大山祇神が祀られる社。
この社は、五十鈴川流域に当たる神路山(カミジヤマ)の守り神とされている。
内宮社域の話は以上。
まだ、けっこう明るいように見えますが、実は午後6時ぐらい。
のはずなのに、おはらい町は既にこんな感じ…。
田舎の夜は早い、いや早過ぎるでしょう。
この辺から、時間の面で誤算が続くわけですが、
仕方なく近鉄五十鈴川駅の行くまでの間にある
いくつかの神社を回って行きます。
そんなこんなで、ようやく内宮入りです。
正面入口とも言える、宇治橋鳥居と宇治橋です。
なお、外宮でも少し触れましたが、
外宮は左側通行であるのに対し、内宮は右側通行となっております。
宇治橋より五十鈴川上流側。
荘厳というか、霧が立ち込めているせいか幽玄な雰囲気を漂わせますね…。
一方下流側。
…、意外とフレンドリィというか、
日本の(ちょっと早いけど)夏休みの田舎って感じですなぁ…。
宇治橋を渡り少し歩くと『神苑』と呼ばれるエリアに入ります。
外宮に比べると非常に開放的な印象です。
改めて見ると、両脇の松などに非常に良く手が行き届いているのがわかります。
天気と日程のせいで、その時はあまり気に留めてませんでした。
さもしいワシ…。
第一鳥居をくぐり、五十鈴川の方に降りて行くと、
この御手洗場(ミタラシバ)という場所になります。
手水場とはまた違う意味で心身を清める場とされています。
やはり霧のせいか、幽玄な雰囲気を醸し出してくれてます。
この第二鳥居をくぐると、左に見える神楽殿と、
本当は右に行くと風日折宮橋(カザヒオリノミヤハシ)があって、
元寇の折に神風を吹かせたとされる『風日折宮』(内宮別宮)があったのですが、
どういうわけか完全にスルー。
何やってんの、ワシ…。
気を取り直して、その神楽殿。
すごく立派に見えるのは、
他と違って定期的に建て直す建物ではないからだと思われます。
周辺には、屋根が苔むす倉がいくつもあります。
別アングルから。
こんな時にも神気が立ってます。
ワシは、もっといい天気の時に来たかったんだが…
(だったら、梅雨時に来るなって話?)。
この階段の上にあるのが内宮の正宮です。
植生こそやや違いますが、この辺りの雰囲気は
北海道神宮なんかと変わらないかもしれませんね。
正宮の正面門です。
こちらも、鳥居から向こうは撮影禁止の上、
直接見られないように布が下げられています。
直接見てはいけない畏れ多いもの、ということですな。
後ろの白いテントの辺りが、新社殿予定地です。
社地内には、このように多くの杉の木がそそり立ってます。
たとえば、このように非常に生命感あふれる巨木があったりします。
次回は、内宮の中にある別宮(風日折宮以外)などを見て行くことにします。
内宮に入る前に、まずは周辺の別宮を攻めて行きます。
(13)饗土橋姫神社(アエドバシヒメジンジャ)
祭神:宇治橋鎮守神(ウジバシノマモリノカミ)
内宮の所管社(縁のある神社)の一つ。
祭神が示す通り、五十鈴川にかかり内宮に繋がる
宇治橋の守り神が祀られている。
(14)津長神社(ツナガジンジャ)
祭神:栖長比売命(スナガヒメノミコト)
内宮の摂社。
倭姫命が当地に来た際、津長原というところに船が着き、
その場所に社を構えるように倭姫命が定めたため建てられた社。
しかし、饗土橋姫神社同様社地が非常に狭く、
この場所に行っても縁起や由緒が無いので全く分からないです。
上記の話は、『せんぐう館』のページにある情報から引っ張ってます。
(15)大水神社(オオミズジンジャ)
祭神:大山罪之御祖命(オオヤマツミノミオヤノミコト)
内宮の摂社。
神社の名前に似合わず、祭神はこの辺りの山の神様なんだって。
なぜこの名前にしたし…。
旧林崎文庫
もともとは内宮文庫として別の場所に建てられていたのだが、
その場所が高温多湿で本や文書を保管するのに向かないということで、
この地に移転されたのがこちら。
しかし、お上頼みのいいかげんな経営だったせいか、
100年ほどで経営が行き詰ってしまう。
内宮の神主さんが方々に手を尽くしてなんとか立て直したが、
明治維新の折に結局廃絶。
本や文書は神宮司庁預かりを経て神宮文庫に保管されることになる。
現在は、春と秋の神楽祭の時のみ一般に無償で公開される以外は、
この通り門以外を見ることはできない。
(16)宇治神社(ウジジンジャ)
・主祭神
大山祇神(オオヤマツミノカミ)
・その他の祭神
たくさんいるので別記
内宮門前町の守り神であり、住民の産土神(≒氏神)。
主祭神は、山神にして農耕の神である大山祗神。
また、縁起を見る限りかなり多くの神を祀っている。
・玉移良比売神(タマイラヒメノカミ)
宇治を守護する地主神(=産土神)
・御裳須曽姫神(ミモスソヒメノカミ)
五十鈴川の守護神
・豊玉比売神(トヨタマヒメノカミ)
真珠を神格化したものと言われている
・素戔嗚尊(スサノオノミコト)
言わずと知れた、天照大御神の弟
・天兒屋根命(アマノコヤネノミコト)
天照大御神が岩戸に隠れた時、彼女に祝詞を奉った神。
朝廷の祭祀を司る中臣家(藤原家)の祖神でもある
・速秋津日子神(ハヤアキツヒコノカミ)
・速秋津比売神(ハヤアキツヒメノカミ)
ともに水戸(水門)の神様であり、水流を支配する神。
罪や穢れを呑み込み消し去る神でもある
・新川比売神(ニイカワヒメノカミ)
大山祇神の娘で、川の源流の守護神。
・火産霊神(ホムスビノカミ)
火之迦具土神(ホノカグツチノカミ)と同じ。火の神。
山岳信仰の神秋葉大権現と同一視されるので、「秋葉さん」とも言う
・水波売神(ミズハノメノカミ)
水の神。当地では御裳須曽姫神のサポート役らしい
・応神天皇(オウジンテンノウ)
第十五代天皇。彼以前と彼以後を別王朝とする説がある。
記紀でも伝説的に語られる天皇のひとり。
八幡神と同一視される。つまり戦神
・天見通命(アマノミトオシノミコト)
荒木田氏の祖神。
代々内宮の禰宜を務める家系のため、神職を目指す人が拝みに来るらしい
・大織冠鎌足神霊(タイショクカンカマタリノシンレイ)
大化の改新で大功のあった、中臣(藤原)鎌足。
「大織冠」とは、当時の最高位の称号。
鎌足しかもらったことが無い称号なので、実質鎌足の別称ともなっている
・和気清麿神霊(ワケノキヨマロノシンレイ)
称徳天皇を誑かして取り入り、神託を悪用して天皇になろうとした
道鏡という坊主の野望を防いだ和気清麻呂のこと。
よって、忠誠の神とされている
・菅原道真神霊(スガワラノミチザネノシンレイ)
言わずと知れた天神様。
天満宮だけでなく、意外と色んな神社に合祀されている学業の神。
・楠正成神霊(クスノキマサシゲノシンレイ)
ゲリラ戦法を得意とした悪党。
最後まで南朝に忠義を尽くしたため、
和気清麻呂とともに忠誠の神として扱われている
・彌武彦神(ヤタケヒコノカミ)
神社の由緒書には本名の「荒木田守武(アラキダモリタケ)」と書かれている。
15歳で内宮の禰宜となり、以来63年間仕えた。
連歌を学び、俳諧の祖のひとりにも数えられるらしい。
・羽倉東麿神霊(ハクラアズママロノシンレイ)
国学者で伏見稲荷神社の禰宜だった荷田春満(カダノアズママロ)。
賀茂真淵の師匠で、復古神道(≒神仏習合の否定)を唱える
・岡部真淵神霊(オカベマブチノシンレイ)
国学者で万葉集研究の大家である賀茂真淵のこと。
本居宣長の師匠
・本居宣長神霊(モトオリノリナガノシンレイ)
「古事記伝」で有名な古事記研究家の本居宣長のこと。
最近では、門人が自らつける
キラキラネームに悩まされていたことでも有名になった
・平田篤胤神霊(ヒラタアツタネノシンレイ)
尊王攘夷思想の精神的支柱である平田神道(かなり曲解された復古神道)
を唱えた人。
国家神道は平田神道がベースになっているとも言われるため、
ある意味この国のいろんなものをぶっ壊した人とも言える
・神名不詳一座
名前もわからない神様。
ただし出所ははっきりしており、
五十鈴川上流にある「鏡石」の上に祀られていた
旧石津賀神社の祭神が合祀されているということらしい
(17)足神さん(アシガミサン)
祭神:宇麻志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂガミ)
神社名はふざけてるわけではなく、縁起にもこう書いてあります。
「古事記」によれば、天地開闢以来4柱目に生まれた神様。
生命力が神格化された存在と言われ、活力を司る神様とされる。
でも、なぜかココでは足だけの神様とされている。
グルコサミンやコンドロイチンよりも効くのかなぁ。
今回は、かなりおふざけも入れながらの紹介でしたが、
次こそは内宮に入ります。多分、まじめな回になると思いますが…。
この回では、内宮に行く前に行けるところ行ってみよう、のコーナーです。
・神宮徴古館
外宮と内宮を結ぶバス路線の途中にある、モダンな建物。
当初から私設の博物館とするべく明治42年に建設されたものですが、
現在の建物は戦後に建てられた2代目。
「遷宮展」を開催していたたためか、
『せんぐう館』と展示物の感じがかぶってたような気もするが、
過去の奉納品なども展示されている、『せんぐう館』の先輩的な存在でもある。
ワシ的には、遷宮の復活に尽力したのが
守悦という尼僧だったっていうをココで知ったのが、
いちばんの発見だったかな。
Wikipediaには、彼女のいた慶光院(こっちしか記述が無いのだが)は、
「廃仏毀釈で廃絶した」と書かれている。
なんという恩知らず。
・神宮文庫
画像である入口の門(黒門)はバス路線沿いにある。
神宮などで保管された関連図書を保管している場所。
門自体は移築されたものだが、築後400年となかなか歴史のあるものであるし、
アンバランスなほど立派なしゃちほこも目を引く。
要するに本棚なので、中にはあんまり興味無いですけどね…。
(12)倭姫宮
祭神:倭姫命(ヤマトヒメノミコト)
皇大神宮(内宮)の別宮。
この時間が、一番雨ひどかったなぁ…。
祭神の倭姫命は、日本武尊のおばであり、
『記紀』にあるように、彼女が日本武尊が東征する時に三種の神器のひとつである
天叢雲剣(後の伝承により草薙剣と改称)を与えている。
彼女が伊勢の地で天照大御神を祀る最初の皇女であり、
彼女が受けた神託により伊勢神宮が建てられた。
それゆえに、このようにして祭神として現在に至るわけである。
木漏れ日が差す一方、相変わらず雨降ってたりするわけで…。
いろいろな神がいっぺんに湧いて出たようで、
神々のお膝元であることを改めて実感させられる光景ですなぁ。
次回からは、内宮のある五十鈴川編に入りますが、
相変わらずの寄り道っぷりです。
別宮については『月夜見宮』などでも説明しましたが、
外宮の境内にも別宮がいくつかあります。
(9)風宮(カゼノミヤ)
・祭神
級長津彦命(シナツヒコノミコト)
級長戸邊命(シナドヘノミコト)
その名の通り、風の神(両祭神とも風の神とされる)を祀る神社。
外宮別宮4社の中では最下位の序列。
(10)土宮(ツチノミヤ)
・祭神
大土乃御祖神(オオツチノミオヤノカミ)
外宮が建っている土地の地主神である大土乃御祖神が祀られている、
外宮別宮4社中3位の序列を与えられている宮。
(11)多賀宮(タカノミヤ)
・祭神
豊受大御神荒御魂(トヨウケオオミカミノアラミタマ)
豊受大御神の荒御魂が祀られている、
外宮別宮4社中最高位の序列を与えられている。
神のネガティヴな側面を反映しているとされているのが「荒魂」であり、
神道においてはたびたびこの「荒ぶる魂」を鎮めるために
神格を与えて畏れ敬うということをする。
神々の食事の世話をする豊受大御神を怒らせれば、
他の神様はおなかがすくからさぞかしお怒りになるでしょうねぇ、
という考え方で良いんですかねぇ。
外宮編はココまで。
次回からは、いよいよ内宮の領域に入り、
内宮別宮のひとつ『倭姫宮』と、
それに隣接する『神宮徴古館』に向かいます。
今回から、ようやく外宮(豊受大神宮)です。
こちらが、表参道への火除け橋(延焼を防ぐための橋)です。
外宮は左側通行です。
わざわざ断っている理由は、内宮(皇大神宮)が右側通行だからです
(詳細は内宮の際に)。
この第一鳥居をくぐれば境内なわけですが、
その前に来年の式年遷宮を控えて作られた施設
『せんぐう館』(画像はございません)に寄ります。
この『勾玉池』のほとりに、『せんぐう館』は建っております。
東屋があったり、自販機付きの休憩所があったりと
静かにのんびりできる場所でもあります。
背景の緑に、舞台の欄干の朱が映えますなぁ。
『せんぐう館』は、2012年にできたばかりの新造施設です。
なかなか近付くことのできない外宮正殿の大きさを確認できたり
(それでも1/4の模型なんですが…)、
遷御行列や宮殿建設に関わるあれやこれやを展示してありますが、
何よりも一番意義があるのは、そもそも外宮とは何であるかを
知ることができるということだと思います。
外宮の祭神は、『豊受大御神』という神様で、
天照大御神のお食事(神饌)を作るという役割を与えられております
(ご利益としては、衣食住の恵みを与える産業の神ということになってます)。
つまり、”神々の台所”ということですね。
外宮→内宮の順にに参るということを考え合わせれば、
昔の日本住居の土間(玄関でありかまどがある)的な役割と見ることもできるでしょう。
第二鳥居を抜ければ、神楽殿などがある空間に出ますが、
それまでの参道はこのようにうっそうとした森です。
神楽殿です。
左から明かりが洩れてますが、
お札やお守りを授与(=買える)する場所が併設されてます。
正宮前の最初の鳥居と、その両脇に立つ一対の樹です。
こんな、見上げるような大木がそこここに立ってます。
同じ鳥居を別アングルから。
苔むすこの門から中には入れない上、カメラが使えるのはココまで。
しかも、門には布が垂れ下がっていて正殿が見づらいようになってます。
それだけ畏れ多いもの、ということでしょう。
この衝立の先が、遷宮される新しい宮殿の建設地です。
納められる神宝も一新されるということで、
木材の選定を含め何年も前から準備されます。
次回も外宮ですが、主に敷地内にある別宮の方を回って行こうと思います。
今回は、ちょっと神社から離れて町の様子と昼食の様子を。
道の脇には、こういう雰囲気のある石橋なんかがかかってます。
そしてよく見ると…、
こんなカニさんがワサワサしてます。
境内の森なんかもそうですが、なかなか命あふれる素敵な場所ですなぁ。
既に13:30。朝食が6:30だったので、かれこれ6時間以上何も食べてないっていう状態。
内宮近辺は、「おかげ横丁」を中心に食べられる場所が多いのですが、
外宮近辺では伊勢うどん関係以外でほぼ一択とも言える
「鳥羽答志島(トウシジマ) 浜与本店 外宮前店」。
ガイド本にも紹介されている店ですし、なんといっても立地が良い。
ホントに、外宮の前だもの。
いただいたのは、お店の名物と言ってもいい「生しらす丼」。
中京らしく赤だし味噌の味噌汁や、しめ鯖なんかも付いているが、
やはり、主役は真ん中の丼。
新鮮な生しらすを使っているようで、生臭さやクセといったものがなく、
何もかけなくても良いぐらい食べやすくておいしかったです。
次回、ようやく外宮に入ります。また、ココも社域が広いんだ。
(5)須原大社(スハラタイシャ)
主祭神=八王子(以下に挙げる8柱の神の総称)
・正哉吾勝勝速日雨忍穂耳尊(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)
・天津日子根尊(アマツヒコネノミコト)
・熊野久須日尊(クマノクスビノミコト)
・市木島比売尊(イチキシマヒメノミコト)
=狭依毘売命(サヨリビメノミコト)
・天之穂日尊(アメノホヒノミコト)
・活津日子根尊(イクツヒコネノミコト)
・多木理比売命(タキリビメノミコト)
・多紀津比売命(タギツヒメノミコト)
外宮の門前町である山田の地の大勢力のひとつ須原方の産土神。
土地の神である産土神と、アマテラスとスサノオの誓約によって生まれた
八王子ってあんまり関係ないような気もするんだが…。
「須原」=「州原」で、当地の一帯が河原だったことを示している。
境内には、他に稲荷社(画像の奥の方にちょっと出ている)や、
「石の神(道祖神)」が祀られている中社がありますが、
どっちも撮影忘れ。ほんと稲荷社が多いなぁ、本州は。
(6)箕曲中松原神社(ミノナカマツバラジンジャ)
主祭神=大歳神(オオトシノカミ)
須原大社などとともに、山田産土神八社のひとつで、
川の流れの曲がっているところを示す「水曲(ミノワ)」、「箕曲(ミノ)」が、
名前の由来となっているようです。
長徳3(997)年には記録に残っている神社で、
主祭神から考えても当地の神として古くから尊重されていたことだろう。
樹齢800年を誇る楠の木。
白蛇が守り神として棲息しているそうで、
疱瘡などの腫れものから守ってくれる神として、
これ単体で崇拝されているそうです。それにしても、デカイ。
(7)伊勢豊受稲荷神社(イセトヨウケイナリジンジャ)
主祭神=稲荷神
箕曲中松原神社の境内社である稲荷神社。
そうでなくても北海道から来たワシなんかから言わせると、
「神社多いなぁ」っていう印象なのに、
オマケのお稲荷さんマジ多過ぎでしょう。
でも、ココのお稲荷さんのちょっと違うところは…、
このお狐様でしょうな。
他と違って地図にも載ってるぐらいだし、若干格上感を出してますね。
次回は、町の景色と昼食の模様を。
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