「自民党憲法草案」を考える-(10)

<10>第9章「改正」とまとめ

残る条文もあとわずか。

しかも、「草案」で手を加えているのは憲法改正に関係する第96条第1項のみ。

まずはその「草案」の前文から。

「この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議に基づき、

各議員の総議員の過半数の賛成で国会が議決し、

国民に提案してその承認を経なければならない。

この承認には、特別の国民投票において、その過半数の賛成を必要とする」

知っての通り、現憲法では「各議員の総議員の三分の二以上」の賛成で

発議するとされている。

つまり、憲法改正の働きかけを少しでもやりやすくしようとしている。

これに関しては賛否あろうが、私としてはこの数字自体は悪くないと思う。

いずれにしても最終決定権は国民投票にあるわけであるから

(とはいえ、その国民投票を行うための法整備そのものができてないのだが)。

「改憲」や「創憲」の論議が近年盛んである。

この条文は、「改憲」に対してより自由性を高める助けとなるものであろう。

法治国家の基礎となるべき憲法の在り方を、

日本人全体がこれをきっかけに少し考えてみることは必要であると思う。

さて、個々の条文に触れるのは以上で終わりです。

「まとめ」ではこの草案に私なりの評価を下していきます。

①これはあくまでも自民党(と言うかコイズミ)の宣伝的な要素が強い

②であるから、ことさらに「自分は今までの自民党の人間とは違う」という部分を

 強調している。

③「改憲」=「9条」という呪縛から、政治家全体が脱却して

 もっと自由な発想で憲法の在り方を協議していくべきである

④わざわざ「憲法草案」と言う形にしなくても、今すぐにでも実行すべきもののために

 コイズミはその圧倒的な数の力と実行力で邁進すべし!

⑤9条に関しては、解釈による運用は既に限界に来ている。

 国民を巻き込んだ本格的で大規模な論議が必要な時期に来ているのは確か。

 私としては、「自衛隊」を軍備であると認めた上で、

 今まで以上により明確な制限を設けるべき。

以上がまとめであります。

「日本国憲法」がアメリカによって与えられた憲法であるかどうかと言うのは、

いまさらどうでもいいことであります。

もう、未来志向でその上で現実と条文の乖離をどう埋めていくか、

そして先進国として「憲法」によって世界にどういったアピールができるか、

そういったことを考えていくところまで来ているのではないかと、私はそう思います。

その意味で、自民党草案はあくまでも習作であり、

真の新憲法は国民の総意によって作られるべきであろう。

「自民党憲法草案」を考える-(9)

<9>地方自治

これも、最近いろいろと話題に上がっている第8章「地方自治」について。

まずは、地方自治の本旨を示した新設の91条の2。

この名前はあくまでも便宜上のこと。

いままでこんなことも規定していなかったぐらい「日本国憲法」は穴だらけだったのだが、

これは、何も当時の日本政府が悪いのではなく、

事実上の草案を作ったアメリカ人にとって、

「地方自治」という概念そのものがなかっただけのことである。

アメリカでは各州に憲法が存在するため、

連邦法によってわざわざ規定する必要がなかったのであるから、

まぁ、仕方ないのだろうが・・・。

とはいえ、この一事を取り出しても「日本国憲法」は

日本人によってではなく、アメリカに与えられた憲法であるという

一つの証左たりうるだろう。

閑話休題、「草案」の条文に戻るが、

本旨としては第1項、第2項ともこれで問題ないように思える。

まぁ、定義付けのようなものだから、いちいち突っかかることもない。

このぐらいのことは、憲法を作った時点で規定しておくべきことであっただろう。

次の、これまた新設の第91条の3では地方自治体を基礎地方自治体と、

広域地方自治体の2種類を規定している。

これがあれば、道州制や年金や保険などの広域化を

スムーズに行うためには必要なことだろう。

しかし、次条を読めばまた呆れ返ってきてしまう。

92条では、「国及び地方自治体は、地方自治の本誌に基づき、

適切な役割分担を踏まえて、相互に協力しなければならない」としている。

今までの政権で「3割自治」を達成して、

すっかり自治体を国家に隷属化させてきた自民党が、

舌の根も乾かぬうちによくも言えたものである。

まぁ、コイズミ的には「オレはこれだけ新しいことを考えてるんだ」と

自慢の一つもしたいところだったのだろうが、

だったら来年9月で引退などといわず、

これらの思想の全てを死ぬ気で達成してもらいたいものである。

郵政法案成立後のコイズミには、全くやる気というものが感じられない。

まだ任期が残っているというのに、すっかりOFFモードである。

やる気を見せろ、コイズミ!

さて、そのあとも新設の第94条の2。これも「3割自治」に関すること。

第1項だけ読めば、「地方自治体は、基本的には自分で財源を確保してね」

と言っているようにしか聞こえない。

いきなり、そんなの無理に決まってるじゃない。

国の財源移譲が遅々として進んでいないのだから、

やはり、有言実行してもらいたいところ。

だからこそ、第2項で「国は、自治体が財源を確保できるように必要な措置を施すこと」

と言っているのだろうから。

「草案」で理想を述べ立てるよりも、まずは態度で示してもらいたい。

「口を動かす前に、まず手を動かせ」と、私は言いたい。

(なに、私もだって・・・。これは失礼・・・)

「自民党憲法草案」を考える-(8)

<8>財政

今回は、今やズタズタの第7章「財政」の話。

いきなり、素晴らしいお話をしてくれますよ。

新設の第83条2項には、

「財政の健全性の確保は、常に配慮されなければならない」だって。

日本を世界有数の借金大国に仕立て上げてしまったコイズミが、

よくもこんなことを言えたものである。

だったら、今すぐにでも始めて欲しいものですね。

そろそろ来年度の予算案も作らないといけないんだから、

有限実行と行って欲しいものである。

86条に追加された第2項、第3項についてはさほど問題にならないだろう。

こういう取り決めが最高法規たる憲法に果たして必要かどうかはともかく、

こういう決め事自体は必要であろう。

89条は、「草案」では現憲法の条文をほぼ2分割しただけだから、これも問題ない。

90条では、決算について書かれている。

これは、現在機能していないところを憲法によって規定して

少しでも機能させなければいけないかなと思わせたいのだろうが、

そういう割には、あんな客寄せパンダみたいな役立たずのタイゾーを

決算委員会に送り込んでいる自民党の言うことだから、信用できるものではない。

要するに、「死んでいる」条文が現憲法には少なくないわけであるが、

その中には現状とあまりにも乖離しているものと、

単に内閣や国会がサボってきたために機能不全に陥っているに過ぎないものがある。

90条は後者の例であり、決算審議のスピード化によて、

無駄遣いを監視するシステムを確立していけば、

こんな決めをわざわざ憲法に盛り込む必要はないのではないのか。

自民党は、どうやら今までのツケをこの草案を憲法化することによって

支払おうと考えているようにも思えるが、

それは今までの自民党政権の失政を認めることであり、

それはこんな国民全体を巻き込むような大事ではないのではないだろうか。

せっかく第与党になったのだから、今できる努力をもっとしてもらいたいものである。

「自民党憲法草案」を考える-(7)

<7>行政と司法

次回の「財政」が長くなりそうなので、今回はこの二つを手短に。

と言うのも、この二つはあまり手を加えられていないのである。

まず第5章「内閣」に関しては、それほど注目に値する変更は加えられていない。

ニュアンスに関しても、それほど目くじらを立てるようなものもない。

第6章「司法」に関しては、これは9条と少し関係のある変更が

76条に加えられている。

新設のの第3項では、自衛隊の「自衛軍」昇格に伴い、

下級裁判所の一つとして軍事裁判所を設営するとしている。

流れとしては仕方ないところだろう。

軍の規律は軍によって正されると言うのは、どこの国でもやっていることであるから。

それよりも、「草案」では裁判官の身分について79条に若干手が加えられている。

第2項には、最高裁判所裁判官の国民審査について書かれているが、

現行では任命後と、その後原則として10年ごとに

国民審査を受けなければならないとしているのに対し、

「草案」では任命後のみとしている。

まぁ、国民審査自体が有名無実化してる現実だけを見れば、

この改変にそれほど問題はないように思える。

しかし、昨今世間離れした裁判官による犯罪やらおかしな判決やらを耳にするにつけ、

この改変にはやはり若干の疑義を感じる。

法を悪い現実に合わせるのではなく、

現実をより法の理念に近づける努力を果たしてこそ政治家ではなかろうか。

もっとも、「草案」全体の流れが明らかに現実思考であるのだから、

流れとしては仕方の内面もあるだろう。

しかし、国民審査が有名無実化しているのは、

明らかに情報開示の不足によるものであるから、

政府としては、まず判断の材料を国民に開示して反応を見るべきであると思うし、

自民党にもそのぐらいの余裕があって欲しいものだと、私は思う。

「自民党憲法草案」を考える-(6)

<6>国会

今回は、第4章「国会」について触れていく。

44条では、議員や選挙人たる資格を定めているが、

今までの条文にさらに「傷害の有無」によっても差別してはならないと加えている。

これは、今までの条文でも考えようによっては特に加えなくてもいいことだし、

ある意味常識ともいえる。

しかしこの機会に明記することで、

障害者のモチベーションが上がることもまた確かなことであろう。

52条では常会(通常国会)の会期を法律で別途定めるという条項を追加している。

これは、今までだって「国会法」によって150日決められていたものを

追認するだけのもので、なぜいまさら追加したのだろうか。

54条には、衆議院の解散について内閣総理大臣の権限で決められるものとしている。

これは、おそらく事実の追認であろう。

しかし、実際問題として国会法などの法律でも解散の最終決定者が定められておらず、

特に7条解散(天皇の国事行為としての解散)に関しては、

形式こそ天皇の権限で解散を行うが、

その実その助言と承認を行う総理大臣(憲法第6条第4項)に

いいように使われているわけである。

「草案」では、あいまいさの除去に挑戦しているわけで、

これは悪いことではないと私は思う。

56条2項では、現憲法では出席議員数に関係なく

出席議員の過半数を取れれば可決できるとしているが、

「草案」では総議員の1/3以上が出席しないと議決自体ができないとしている。

最低出席議員数を決めること自体はいいことだと思う。

しかし、1/3以上と言うのはどうだろう。

そもそも、選ばれた議員が国民の1/2~2/3の民意しか反映していないのに、

議会で1/3と言うのはあまりにも少ない。

せめて半数以上にして欲しいなと、私なんかは思うのだが・・・。

63条では、原文を2つに分け、後半を第2項として手直しを加えているが、

国務大臣の議員出席義務に関して「職務の遂行上やむを得ない事情がある場合」を

除くことにはやや問題があるように思える。

今でこそそう多くもなくなったが、

以前は大臣の都合が悪くなるとよく病気になっていたものである。

この条文はそれを容認しかねないわけで、自民党の古い悪習を感じさせられる。

新設の64の2では政党について言及している。

しかし、その1項で

政党の「活動の公正の確保及びその健全な発展に努めなければならない」と、

昔さんざん悪いことをしてきた自民党がよくもいえたものである。

まぁ、反省していることを世間に示していきたいのだろうが、

オリンピックの誘致に動いている札幌、福岡、東京のいずれもが、

自民党が旗振り役になっていると言う点はどうなのだろうか?

自民党本部はともかく、

都道府県連の方は相変わらず旧来の自民党の体質を温存しており、

建設業界などと太いパイプが繋がり続けているのではと勘繰ってしまうわけである。

思えば、先の衆議院選挙でもいくつかの都道府県連が党本部に反旗を翻していた。

「小さい政府」を志向しながら、党自体は中央集権を志向する。

自民党は、このように多くの矛盾をはらんでいる。

確かに自民党の中にもいいことを言う人はいるが、

それも巨大与党自民党の中の一意見に過ぎない。

まぁ、その辺が間接民主制の限界なのであろうが・・・。

「自民党憲法草案」を考える-(5)

<5>国民の権利と義務-③

今回も第3章。まずは29条の財産権から。

ここでは知的財産権に言及している。

日本は「持たざる国」であるから、人は貴重な財産であると言えよう。

しかし、青色発光ダイオードのときにあった騒動を見てもわかるように、

特に戦後日本は、悪しき平等主義によって、多くの発明やアイデアが

一人の功績ではなく会社全体を潤すために使われることが多かった。

また、アジアの中で奇跡的な復興を果たした日本は、

東南アジア諸国に安い労働力を求めていった。

そのときに、日本の持つ高い技術を惜しげもなくアジア諸国へとばら撒いていった。

その結果日本は、産業の空洞化を招きいまだに抜本的な解決法を

見出していないように思える。

確かに、あの戦争における負い目が少なからずあったのかもしれないが、

工業に留まらず、あらゆる産業政策をいい加減に行ってきたために、

日本の産業は激しく消耗し、いまやその負債を背負わさせられている有様である。

そういう意味で、知的財産権の保護に乗り出すというのは、やや遅きに失した感はある。

しかし、日本はいまやアニメの一大輸出国であり、

「ものづくり」の精神を持ち続けている企業も少なくない。

この条文が、憲法に盛り込まれることによって、

ふたたび「技術立国」の道を歩みだすことができれば、

日本も本当に意味で「一流国」たりうるかもしれない。

しかし、そのためには教育制度や企業マインドの変革も必要となってくるだろう。

こういった、省庁横断的な政策を今の日本の官僚機構で取れるかと言われれば、

私としては、はなはだ疑問であると言わざるを得ない。

「自民党憲法草案」を考える-(4)

  1. <4>国民の権利と義務-②

前回に続いて第3章について考えていく。まずは20条から。

第3項ではどうやら靖国問題を考慮してか、

現憲法では「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」

と規定しているのに対し、

「草案」では「社会的儀礼又は習俗的行為」を超えない範囲であれば、

これらの活動を認めるとしている。

しかし、知っての通り日本と言う国は世界的にも稀有な無宗教国家である。

いったい誰が「社会的儀礼」や「習俗的儀礼」を規定するのだろうか?

それに関する裁判が起こるたびに、

裁判官が逐次判断するだけで事足れりとするのだろうか?

それとも、宗教の専門家がどこからともなく現れて線引きしてくれるのだろうか?

極端な話、この条文を盾に「首相が靖国に参拝することはこの範囲から逸脱する」

と決められた場合、小泉首相はどうするのだろうか?

しかし日本の、特に神道という宗教(そう呼ぶべきかどうかも疑問なのだが)は、

これといった教典も無いし、参拝様式もわりといい加減だったする。

同様に、先ほどのような線引きが果たして可能なのかといわれれば、

私としてははなはだ疑問であると思われるのだが・・・。

また、新設の第21条の2であるが、これは国家の説明責任に言及している。

しかし、小泉首相は自分で出来もしないことを

よくもこういけしゃあしゃあと書けるものである。

やはり、一国の首相ともあろう者はこのぐらい厚顔無恥でなければ

務まらないと言うことなのだろうか・・・。

「草案」では、生存権の強化がなされている。

まずは、新設の第25条の2。これは国の環境保全の責務を規定している。

これは、出来れば今すぐにでも盛り込んで欲しい条文である。

日本にはこれといった資源が無い。

しかい、そうであるがゆえにいまや「もったいない」と言う日本語が

世界に向けて発信され、また省エネに関する技術も世界随一であろう。

現在、世界的な原油高であり、しかもそう遠からん将来それも枯渇すると言われている。

そういう時代において、省エネは環境保護や資源保持において

重要なキーワードになっていくことは必至である。

その意味で、この条文は充分世界に通用するものであると私は思う。

続いて、これまた新設の第25条の3。

これは、近年の犯罪被害者保護の観点を最高法規によって規定しようとするもので、

「犯罪被害者は、その尊厳にふさわしい処遇を受ける権利」があるとしている。

これは、刑法第39条(心神喪失及び心神耗弱)にも関係してくるのだろうが、

近年、未成年者の犯罪が多発し、

それによって一般には名を明かされない犯罪者が増えている。

また、犯罪者は裁判が起こされるたびに「精神鑑定」を行われたりと、

やたらと犯罪者を保護しようとする動きが目立っているように思われる。

一方で被害者はと言うと、マスコミの度重なる取材にさらされ、

人権を蹂躙されているように思われるケースも少なくない。

そういったことを防ぐために、最高法規によってこれを保護する動きがあるというのは

いい傾向であるように思える。

こういった視点を野党も持ち得ないと、

巨大与党となった自民党と対等に戦えないのではないだろうか。

「自民党憲法草案」を考える-(3)

<3>国民の権利と義務-①

前回、恐らく最大の問題となるであろう第9条について触れてきたわけだが、

今回触れる第3章もずいぶんと恐ろしいことになってるようですよ。

まぁ、しょせん草案は草案なわけですから言わせておけばいいのですが、

憲法を自分で作ったことの無い日本国民としては、

これを機会に少し考えてみると言うのも良いのではないかと思うわけであります。

10条は、日本国民の要件を法律で決めると言う条文。

ここは変えていないというか、むしろ変えて欲しいと思う方もおられるかもしれない。

なにせ、日本国民たる要件を憲法で決めていないのだ。

これは、硬質憲法である日本国憲法としては仕方ないところもあるかもしれないが、

逆に言えば日本国民たる要件をいかようにも変えられるのだ。

つまり、法律が変わったら明日から日本国民たる要件を満たさなくなってしまう

可能性があると言うことである。

できることならば、憲法で日本国民というものをきちんと確定してくれた方が、

日本国民の一人としては安心できるのだが…。

11条は特にいじっていないのでこれは問題なかろう。

そして12、13条では、それぞれ「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」と書き換えている。

とくに、「公益」の部分がちょっと引っかかる。

「公益」とは何か。考え様によっては「政府の利益」と取ることもできる。

そう考えると、政府の利益に反するような自由は享受できない(12条)ことになる。

これは、極論すれば政府は国民の自由権をいかようにも制限できると言うことである。

国民が憲法の保障する自由と権利を濫用してはいけない(12条)のと同じように、

政府や議会もまたその力を濫用してはいけないと思うのだが、どうだろうか・・・。

14条~19条までは言い換えや若干の追加のみで特に問題は無い。

ここで憲法草案では19条の2を追加して個人情報に触れている。

これはいいことであると思う。何なら今すぐにでも加えて欲しい。

しかし、しつこく言うように日本国憲法は硬質憲法である。

そうであるがゆえに、条文一つを変えるだけでこれだけ揉めているわけである。

前回も書いたが、「日本国憲法」は世界の現状に必ずしも合致したものではない。

見直すべき時期に来ていることに来ているのも確かである。

しかし、同時に日本人は何でも伝統にしたがる。

改憲イコール第9条と言うわけでもないのに、

改憲と言うだけで拒否反応を示す者も少なくない。

このように考慮に値する案件も少なからず存在するわけで、

社民党などはただただ護憲にしがみつくのではなく、

もっと積極的に発信していくべきなのではないかと私は思うのである。

「自民党憲法草案」を考える-(2)

<2>戦争放棄を放棄する、か…。

第1章の「天皇」に関しては特に触れるところではあるまい。

天皇制に関してはもっと他のところで問題になっているわけだし、

憲法では天皇の地位を規定しているに過ぎない。

と言うわけで、今回はおそらく大問題になるであろう第2章「戦争の放棄」である。

憲法の各章にはこのように表題が付けられているわけだが、

憲法草案では唯一この第2章のみ表題から変えている。

草案の表題は「安全保障」である。

これは、とりもなおさず戦争放棄の放棄と言えるものであり、

それは条文にも現れている。

9条1項は9条として元のまま残しながら、

9条2項を破棄し9条の2と別条に立てている。

9条の2第1項では総理大臣を「自衛軍」の最高指揮権者と規定している。

第2項では、「自衛軍」の活動には法律による規定と国会の承認を要すると規定した。

そして第3項では第1項の規定による任務

(日本の平和と独立並びに国及び国民の安全の保護)

以外に、「法律の定めるところにより国際社会の平和と安全を確保するために

国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、

または国民の生命もしくは自由を守るための活動を行うことが出来る」と規定した。

第1項の「自衛軍」と言う名称にも嫌悪感を抱く方もおられるかもしれないが、

こんなものは第3項に比べればかわいいものである。

第3項では集団的自衛権に踏み込んだわけであり、

これに関しても法律で定めるとしている。

つまり、集団的自衛権の範囲に最高法規たる憲法の縛りが

かからないと言うことを示しているわけである。

よく言われることだが、今まで憲法の縛りがあったために

日本は解釈によってようやく細々と外国に派兵していたと言われている。

それが、いよいよ憲法の縛りがなくなるわけであり、

おそらく韓国、中国などは大きな恐怖を覚えることであろう。

しかし、現状の自衛隊の実力は充分すぎるほど「軍」と呼ぶに相応しいものであり、

すでに韓国、中国に充分脅威を与えているとも考えられる。

いまさらどう取り繕ってもその事実は揺るがし難い。

つまり、実情に憲法を合わせた結果であるともいえるわけで、

今までのように解釈でこそこそやるよりも堂々としているともいえる。

私としては、「日本国憲法」≒「ワイマール憲法」と考えており、

理想としては大変けっこうなことではあるが、

それが現実乖離しすぎてしまってはしょせん理想は絵空事でしかありえない。

ワイマール共和国は現実の変化に対応し切れなかったために、

いやあまりにも人の心が変わらなかったがゆえに

ヒトラーのような怪物を招来してしまったのかも知れない。

そして、日本人の心も本当はそれほどあの戦争の頃と

変わっていないのではないだろうか。

日本人は過去をリセットするのが得意だ。

徳川幕府も、明治維新も、そして戦後もそうやって人々は先に進んできた。

しかし、歴史と言うものが紡がれる限り

完全に人の記憶をリセットすることは不可能である。

韓国や中国の在り方を見ればわかるであろう。

人間は「反省」はするが「学習」の出来ない動物なのかもしれない。

日本はあの戦争の加害者として、そして核の犠牲者として、

他国には無い発信できるものを持っているはずであると思う。

しかし、この新9条からそのエッセンスを感じることは、私は出来ない。

「自民党憲法草案」を考える-(1)

<1>前文

「ヒトラーと小泉」の方はあとはまとめを残すのみといった感じ。

そこで、しばらくは小泉イズムを考えていく上で参考になると思われる

「自民党憲法草案」について考察を進めていくことにする。

第1回は、やはり憲法全体のエッセンスが詰まった前文から。

なお、憲法草案全文については自民党のHP(下がリンク)を参照のこと。

http://www.jimin.jp/jimin/shin_kenpou/shiryou/

新憲法制定の宣言、そして継承する理念がまず書かれる。

この辺はまあ読み飛ばしても良かろう。

第3段落からいよいよ自民党の考え方が明らかとなっていく。

まず、「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概を持って

自ら支え守る責務を共有」すると書いている。

この辺は、近年よく言われる「愛国心」の強調であろう。

そしてそのために必要なのは「愛情」と「責任感」と「気概」らしい。

また、ずいぶんとあいまいなものに期待したものである。

響きとしてまともなのは「責任感」ぐらいなものだろう。

この3つが結局何を示すのか、全く雲をつかむような話である。

そして、「自由かつ公正で活力ある社会の発展」を図るんだって。

「自由」なのはまあ認めよう。

しかし、同じ党が「人権擁護法案」やらを準備していることを忘れてはいけないだろう。

「不公正」で「活力の無い」社会を作ってきたのは、他ならぬ自民党ではなかろうか。

数多くの贈収賄や汚職事件を起こし、

特定の権益を保護して活力を奪い続けてきたのはいったいどこの党であったことか。

また、「国民福祉の充実を図り、教育の振興と文化の創造」重視するとしている。

確実に投票に来る老人票を獲得するために「福祉」を充実させてきたことは認めるが、

投票権の無い子供のことを軽視し続け、

あまつさえ「ゆとり教育」で愚民化政策を採った党がよく言うものである。

「文化振興」にも少なくとも今まであまりご熱心だったとは言えまい。

各地の伝統工芸等において後継者の育成を怠り、消えゆこうとする伝統は少なくない。

「地方自治の発展」に関してはこれからのことと言っておきたい。

それは、小泉が「小さな政府」志向であるからである。

残り1年を切った小泉が、このことにどのくらい尽力するかで

この憲法草案が絵空事であるかそうでないかが、

うっすらとでも見えてくるのではなかろうか。

第4段落は、平和主義について集団防衛権に含みを持たせている。

詳細については第9条で述べられることであろう。

第5段落では環境対策に力を入れると書いている。

「持たざる国」日本としては妥当な発言ともいえるが、

何せ石油から水からなんでも輸入に頼っている国である。

自国の環境を守るためなら他国のことはどうでも良い、

というような考えに陥りかかっているきらいもあるので、

まずは「己を省みよ」といったところだろうか。

はっきり言えば、「前文」だけでも突っ込みどころ満載で、

今まで自分たちがやってきたことをすっかり忘れてしまったのかと言いたい。

未来志向もけっこうだが、まず自分たちが正すべき点を洗い出すべきだと思うのだが…。

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